6年務めた公務員を辞めて起業し、旅と職を楽しみながらライフコーチとして活動しているあゆです。
【完璧主義・周りと比べる・自分責め】をしてしまう頑張り屋さんが、「好きな自分で自分らしく他者貢献」をテーマに
ライフコーチとして、コーチ・コンサル業での起業・副業を通し、自分らしさを生かすキャリアを築いていきたい20代~30代の方々のサポートをしています。
私は、2023年5月に地方公務員を退職し、2024年1月~念願だった起業を叶えました。
現在は、起業・副業を目指す20代・30代の方のサポートをするライフコーチをはじめ、
中国人への日本語レッスン、サポートキーボードや歌手などの仕事をしています。
私のことを皆さんに知っていただくために、これまでの人生について、語らせてください!
幼少期はとにかく人見知り
私は、両親、妹の4人家族で、長女として生まれ育ちました。
幼い頃、とにかく人見知りがひどく、挨拶も恥ずかしがるような性格でした。
幸いにも、周りの人に恵まれていたので、保育園から小学校まで友達もそこそこいましたが、
そんなに目立つタイプではありませんでした。
小学5年生の頃に、父の仕事の関係で転校したのですが、
転校先の学校はかなり田舎にあり、学年で1クラスだけ。
人見知りの私と友達になってくれたのは、クラスでかなりヤンチャをしていた女の子2人組。
案の定、私は良いように使われて、2人の引き立て役のような存在になってしまいます。
とにかく嫌われないように必死でした。
ある日、2人から万引きをそそのかされたことがありました。
さすがに良心が痛み、私にはできませんでしたが、その時自分の中で、
「この人たちとずっと一緒にいたら、自分はだめになってしまう…」
そう思うようになり、いつまでも2人の言いなりになっていてはいけないと思うようになりました。
事件をきっかけに変われた人生
小学校5、6年生は、何とかやり過ごし、中学生になった私でしたが、
相変わらず、ヤンチャな2人とつるんでいました。
部活動もみんな一緒の運動部に入ったのですが、そこで新しい友達ができたんです。
その子は、友達も多く、性格が穏やかで明るい子でした。
やがて、そのこと私が仲良くし始めると、ヤンチャな2人は黙っていませんでした。
その新しい友達から、私を引き離そうとしてきたんです。
こんなことがあって、私は決心しました。
もうこの2人とはさようならをしよう。
2人は私にとっては大切な友達でもありましたが、
これ以上自分の心にふたをしたままでは、自分の心が死んでしまうと思いました。
そして、ついにある日の朝、私は2人にこういいました。
ごめん、もうこれから一緒にはいられないや。
今でも鮮明にその言葉を覚えています。
こんなこと言ったらいじめられるんじゃないかと、ずっとひやひやしていたのですが、
やっと伝えることができたんです。
そして、2人とはそれ以降話すこともなくなり、特にいじめられることもありませんでした。
そこからの人生は、常に自分の気持ちに正直に生きようと決心し、
色んなことに挑戦し、周りとも積極的に話すようになったんです。
自分の人生の中ではここが大きなターニングポイントでした。
ちゃんと、心の違和感に気づいたことで、次に進むことができたんです。
普通高校には行きたくなかった
小学生の色々な事件を乗り越えて、中学生生活を楽しんでいた私は、
勉強もそれなりに頑張っていて、学年のトップ10には常にいました。
中学3年生になり、進路を本格的に考え始めたのですが、
私がその頃から考えていたことは
人と違うことがしたい!
ただこれだけでした。
そうして、みんなが行く普通高校には憧れを持たなくなりました。
私が選んだのは、国立高等専門学校、通称高専です。
たまたま近所に学校があり、外国語や経営について学べる文系学科があったので、そこを選びました。
そうして私は地元の高専で周りの高校生とは少し違った勉強をし、
卒業後、20歳から地方公務員として働く選択をしました。
公務員を選んだ理由
公務員を選んだ理由は、非常に単純でした。
やりたいことが決まらなかったからです。
また、公務員になれば色々な分野の仕事ができそうだと思ったのもひとつの理由でした。
実際に周りの公務員と話していても、そういう理由で公務員になっている人が結構多いです。
私は6年間働いたのですが、
福祉系の部署(2年)
→海外派遣研修(東京・中国)(2年)
→国際関係の部署(2年)
という感じだったので、
実質デスクワークで仕事をしていたのは4年くらいです。
公務員として働いていた6年間、本当に色々な経験をさせてもらえたので、
働けてよかったと心から思っています。
公務員を辞めようと思った朝
でも、6年目に突入したある日の朝、私のなかで大きな心の違和感を感じる出来事があったんです。
私の家は駅から徒歩5分ほどの距離にあり、同じ職場の旦那といつも歩いて一緒に通勤していました。
お互い朝が弱く、だんだんと朝起きれなくなり、徒歩5分が、いつのまにか走って3分になっていました…
早く起きればいいだけの話なんですけど、なかなかできなくて。
走りながら、なんでこんな朝を迎えないといけないんだろうかと、自分のことが嫌になりました。
そうして仕事が始まったんですが、その日に限って、本当に何もすることがなくて、
かなり時間を持て余し、想いに耽っていました。
私の人生、このままでいいのかな?
その時の私の答えは「No」でした。それも結構即答。
その日から、私は退職を考え始めました。
帰ってから、旦那に冗談半分で公務員を辞めたいと伝えたんですが、全く聞く耳を持たれませんでした。
さらに周りからは、
公務員を辞めるのもったいなくない?
続ければ給料上がるのに、なんで辞めるの?
と言われました。
最初は誰も応援してくれませんでした。
その後、やりたいことを見つけたら、認めてもらえるかな?
と考えるようになったんですが、
やりたいことを見つけるのって本当に難しい
人と違うことがしたいという気持ちは、その頃も変わらなかったんですが、
自分のしたいことが何か決められませんでした。
でも見つけないと、辞めるきっかけもないので、過去の自分の経験と向き合うことにしたんです。
私がそれまでの人生で一番頑張ったことは、高専時代に勉強した中国語でした。
学生の頃に中国語を生かして仕事をしたいと思ったこともありましたが、
過去の私は、語学を生かした仕事は難しいだろうと決めつけ、あきらめてしまいました。
そんななかで、公務員の時に、中国に関わる仕事に希望を出せるチャンスがあり、
その経験のおかげで、
これが自分のやりたいことなのかも!
と思うようになりました。
そこから色々考えた結果、どこかに転職するのではなくて、
「個人事業主」になる選択をしました。
ちゃんとやりたいことを見つけて、旦那や家族に伝えたら、
私の気持ちを理解してもらうことができ、今では1番の応援者になってくれています。
自分が、「公務員」から「個人事業主」になるなんてまさかの展開でした。
でも、それこそが私が求めていたことであり、自分の心に素直にいられる方法でした。
今の生活が本当に幸せです!
フリーランスになってから…
独立後は、中国の企業と個人間で契約を締結し、
在宅オンラインで中国人の日本就職支援や日本語指導などの仕事を行いました。
素敵なご縁に恵まれて、自分のスキルを生かしながら好きなことを仕事にできたんです!
これまでのように毎日定時に電車に揺られて会社に行き、時間になったら帰る
そんな制約がなくなったことで、
かなりストレスフリーになりました。
これまであまり経験のなかったことが多い毎日ではありますが、
自分のアイデアで仕事を進められていることに、
やりがいを感じています。
公務員の時には、副業が許されませんでしたが、
フリーランスになってからは色んなことができるようになったので
自分の興味があることにたくさん挑戦しました。
そうして、自分が心からやりたい仕事がやっと見つかったんです!!!
それが、ライフコーチのお仕事でした。
このお仕事をやることになった経緯は、また別の投稿で詳しく書きますね!
このブログについて
これまでの私の人生について、少しご紹介しましたが、
自分でもいろんなことがあったな~と懐かしい気持ちになりました。
このブログでは、私のこれまでの人生の経験について皆さんにお伝えしたいと思います。
地方公務員を辞めるまでについてもそうですが、
特に、私が『個人事業主』になって一番良かったこと、それは、
好きなことを心から楽しめる
ようになったことです。
もともと旅行するのが好きだったのですが、
公務員のときは、
月曜か金曜のどっちか休んで、せいぜい2泊3日かな……
大型連休の時しか行けないよね……
という感じだったので、行ける場所も限られるし、人も多い。
それもストレスの一つでした。
あとは、お酒を飲んだり、美味しいものを食べるのも好きですが、
月曜から飲み会はきついと思ってしまうこともあり、心から楽しめないことも正直ありました。
個人事業主になったおかげで、
休むタイミングを好きなように決められる
観光客が少ない平日にも旅行に行ける
長期旅行の日程も立てやすい
次の日、仕事に行くのが嫌という感覚が無い
というメリットがあり、
好きなことを心から楽しめるようになったんです。
以前よりはるかに自由な時間と心の余裕ができたので、本当に良かったです。
そこで、これからこのブログでは、
- 地方公務員を辞めて起業するまでのノウハウやマインド
- ライフコーチとしての活動について
- 旅に関する記事
を投稿していきます!